デビッド・J・グロブ


ディビッド・グロブDavid J. Grove

(1950年12月1日 2008年1月8日)

グロブは、ニュージーランド出身のカウンセラー(Counseling Psychologist)でクリーン言語を1980年初頭に創出した。グロブの母親はマオリ族のワイカト・タヌイ部族(Waikato Tainui)の出身の看護婦で、父親は英国系ニュージーランド人でフェリーのキャプテンであった。ワイカト・タヌイ族の遠い祖先は、ホツロア(Hoturoa)、タイヌイカヌーのキャプテン、である。ホツロアはおよそ800年前にポリネシアンが海洋をカヌーで航海してニュージーランドに上陸した時の「海洋を航海する偉大なるカヌー」(the great ocean-going canoes)の一員であった。

 

グロブ自身によれば、彼の人格形成期に、彼のマオリ族のルーツ、彼自身のトフガス(tohugas)の学習、マオリ族のヒーラー、祖父からのホメオパシー (homeopathy) から重要な影響を受けたということである。グロブは1971年にニュージーランドのカンタベリー大学で動物学の学位を習得し、当時は獣医の道を進む計画でしあった。修士課程では、経営管理を専攻し、ビジネスで起業したが、後、カリフォルニア州に移住し、鯨を見る観光ツアーを率いた。

 

海外のブログやホームページでは、この時期にグロブがNLPを習得したとか、グロブがNLPプラクティショナーであった、と書いている場合があるが、デビッドと20余年、日々を共にし、結婚していたカイ・ディビス・リンはその噂を全く否定している。

 

そして、グロブは1982年にミネソタ州のヴィノナ州立大学でカウンセリング心理学の修士号を修得した。グロブの初期の臨床経験は救世軍の成長障害のある個々人のためのプログラムのカウンセラーであり、カリフォルニア州でさらにトレーニングに励む。カウンセリングを通して、グロブの関心はますます患者がトラウマ体験を描写するのに用いる言葉に向けられ、グロブは自身のセミナーを開催する「セラピーのテクノロジー」という会社を設立し、米国中でセミナーを開催した。その当時は、グロブはジェイ・ヘイリー(Jay Haley サルバドール・ミヌチン (Salvador Minuchin, Structural Family Therapist) などにトレーニングを受けた。

 

その後、グロブは英国を訪れ、ある協会のコンサルタントになった。その後まもなく、共通の友人と同僚から、グロブはカイ・ディビス・リン(Cei Davies Linn)に紹介される。当時、ディビス・リンはすでにノースハンプトン州の聖アンドリュー病院の上級心理セラピストであった。

 

その時点でグロブはトラウマ治療の原則とクリーン言語の初期の質問を編み出しており、米国と英国で何度もセミナーとワークショップを開いていた。グロブは、ミルトン・エリクソンの手法を学習、研究して、エリクソン流のカウンセリングやデモも行っていた。ミルトン・エリクソンは、クライアントに最適であるメタファーをクライアントに与えて、問題解消のプロセスを展開させたが、グロブは、クライアント自身の中から生まれるメタファーに注目して、クライアント自身のメタファーを導きそれを発展させる方法を創始しようと試みていた。

 

カイは、グロブに紹介される以前から、臨床のセッション中のクライアントの用いる言葉に注目していて、ミルトン・エリクソンの手法を研究したが、エリクソンの手法を用いて、カウンセリングを行うというよりは、どのようにしてクライアントの中からメタファーを導くか、どのようにしてクライアント自身のメタファーを用いて、カウンセリングのプロセスを発展させるか、を試みていた。

 

つまり、共通の同僚に紹介される以前から、二人のプロフェッショナル上の関心。研究課題は一致しており、紹介されてまもなく共同研究・共同活動を開始するのである。

 

以来、様々な地を旅行して、ワークショップ、セミナー、トレーニングに明け暮れる日々を過ごす。グロブとディビス・リンは共同でさらにクリーン言語の理論基盤を発展させ、T-1, T, T+1 というような重要なモデルもその共同研究より創始された。 また、クリーン言語の質問も、グロブが創案した基本の質問は改良され、さらに新しい質問が創出された。例えば、What kind of ....... ? (それは、どのようなものですか?)という基本の質問も二人の共同研究で開発されたのである。

 

1985年にはグロブはロンドンのインペリアル・カレッジでストレスと不安恐怖症(Stress and Anxiety Disorders国際シンポジウムを開催した。300人もの参加者が英国そして海外から出席したこのシンポジウムでは70人の著名な精神科医と心理学者が発表した。

 

 ミズーリー州エルドン・リトリート・センター

 

ロンドンの会議後もグロブとディビス・リンは米国、英国、オーストラリア、ニュージーランドをハードなスケジュールで旅行をして回り、セミナーとリトリートを開催した。その間、R.D.ラング(R.D.Laing)(「引き裂かれた自己」の著者で著名な精神科医)等と共同でセミナーを開催したり、会議での発表をした。その後、最終的にR.D.ラングの「そんなに旅行ばかりして回るのは狂気の沙汰だよ。リトリート・センターを設立して、クライアントやカウンセラーを君たちのセンターに来させればいい。」という助言を受けて1990年、米国のミズーリー州の70エイカーに渡る土地にエルドン・リトリート・センター (Eldon Retreat Center)を設立した。その後10年間にわたり、グロブとディビス・リンはエルドンをベースとして臨床心理士、カウンセラーのトレーニングとクライアントの治療を続けた。そのトレーニング・コースとして初級、中級、上級コースを教える「メンタルヘルス領域のプロフェッショナルのための能力ベースによるトレーニング」(Competency Based Training for Mental Health Professionals)を完成した。後にEKEmergent Knowledge)(知識の発生)としてグロブが多用した方法は、この時代にはすでに萌芽していた。この時代にこの方法を開発するために議論が行われたが、その議論は録音されてカイ・ディビス・リンが保存している。(つまり、EKは2000年頃にデビッドが開発した、という説は正しくない。)

 

このエルドン時代には、数多くのカウンセラー、心理学者、精神科医、大学の心理学部の教授・講師がエルドン・センターに集まり、刺激的な議論と試みが花開いた。年一回、開催された恒例の7月集中セミナーでは常連が集まり、彼らは、クリーン言語とクリーン・スペースの発展に貢献し、このセミナーについて、デビッドは、自分はこの期間中ほど創造的だったことはない、と感想を記した。

 

エルドン・センターは1999年11月に閉じられグロブとディビス・リンはセミナー旅行を開始する。その後、二人は離婚後する.しかし、その後もふたりは友人であり、連絡を絶やすことはなく、共同活動を続け、デビッドはカイを常時訪問した。

 

 エルドン・センターを終えて

 

ミズーリー州のエルドン・リトリート・センター時代も、グロブとカイ・ディビス・リンは空間を活用したクリーンな空間(Clean Space)の方法を開発していたが、エルドン時代以降、グロブはさらにクリーンな空間の方法を多用した。 また、空間を用いたEKEmergent Knowledge)(知識の発生)の方法をさらに発展させ、ワークショップでは、もっぱらクリーン・スペースと空間を使用するEKを活用した。当時、ワークショップの開催地として、グロブは特にフランスのノルマンディー地方を好んでいたが、毎年11月には、その地で常時出席するメンバーに最新の手法・方法を教えた。

 

2005年頃より、グロブとディビス・リンは米国に戻り、クリーン言語のルーツに戻り、クリーン言語をさらに発展させて、新しいセミナー・シリーズを開始することを考え始めた。彼らの長年の同僚のスティーブ・ブリッグスもその計画を熱心に推進しようとした。2008年夏には、グロブは英国を離れて、カイと共に米国でクリーン言語の新しい理論構築とセミナーシリーズを開催することを決定していた2007年秋には、ディビッドの直弟子であり、現在日本支部の泉が世界銀行の職員であった縁で、ワシントンDCの世界銀行のあるグループに招聘され、職員トレーニングを行い、2008年には、再度、世界銀行に戻り、ワークショップを開催する企画が進行していた。

 

非常に悲しいことに、グロブは米国カンサス市で、2008年1月8日に、長年グロブについて学び活動をともにしたスティーブ・ブリッグスの自宅で突然の死去を迎えた。ワシントンDCを訪れる数日前であったそして、2008年の夏には、カリフォルニアに戻り、クリーン言語の原点に回帰して、集中ワークショップ・トレーニングをカイ・ディビス・リンと共に開講する計画で会った。

 (この記事は、泉がカイ・ディビス・リンにインタビューをしてまとめました。)